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1959年岡山県に生を受ける。

すぐに九州は福岡の小倉区城野団地に引っ越し。

 

足原幼稚園を経て

1年生 足原小学校に入学。

 

ここで熊本県健軍町に再度引っ越し。

2年生 健軍小学校で過ごす。

 

ここで小倉区徳力団地に再々度引っ越し。

3年生 徳力小学校で過ごす。

 

新設校に移動する為、

4年生 広徳小学校で過ごす。

5年生 同じく、広徳小学校で。

 

さらに福岡県宗像郡(当時)へ再々再度引っ越し。

6年生 東郷小学校で過ごす。

 

度重なる引っ越しとそれに伴う転校により古くからの友達は皆無の状態だった。

 

小学校高学年になるにつれ、スポーツに目覚める。

これも主に一人でやれる競技。

夏に水泳をやり夏休みの間、脚をヒモで縛りプールで泳ぐ大特訓。

結果、県大会出場。

冬にはマラソンをやり校内トップになる。

 

ただローカル色の強い地域の学校に慣れることはなく、一人疎外感を味わうようになる。

 

このまま地元の中学に行ってもそれは変わらない事を感じ頭は相当悪かったが福岡市内の

私立の中学を受験させてもらう。

 

なんとかビリのビリで私立西南学院中学校に入学する。

今でこそ共学だが、当時は頭の良いお金持ちの子弟が通う男子高だった。

また頭髪は当時は丸坊主が当たり前の時代に自由だった。

 

アメリカ人の宣教師、教師が在籍し毎朝チャペルで賛美歌を歌い聖書の授業もあった。

 

しかし当時住んでいた場所から電車とバスを乗り継ぎ1時間半の通学はとても

小学生に毛が生えたような生徒には過酷な通学だった。

 

よく保健室に通ったのを憶えている。

 

更によせば良いのにバスケット部に入り部活を始める。

その後、陸上部で長距離を始める。

これにより勉強は全く身につかず、ABCDEと成績順の中の定位置は当然Eだった。

それも一度だけ何かの間違いでDになった事があるくらいのボンクラだった。

 

まだこの頃は海岸に百道の浜が広がり、砂浜にはカブトガニが頻繁に現れた。

それを取って来て校庭の噴水の中に入れたりして遊んでいた。

当然見つかりこってり絞られる。

 

高校は共学にいきたくて外部の高校を受験するがこの成績では当然落ちる。

結果、西南学院高校へ行く事となる。

 

ここは中学より数ランク落ちてかなりゆるい学校だった。

勉強のできる生徒は修猶館高校や福岡高校へ行くからだった。

 

ここでは美術部に入り何となくデザイナーの道を模索し始める。

ただ横尾忠則に憧れていただけだったが。

 

勉強しない事は更に悪化し、大学に行くなら実技勝負の美術大学を受けるしか選択肢はなくなる。

京都芸術大学と多摩美術大学と東京造形大学を受験する。

 

最初の2校に落ち、滑り止めと考えていた東京造形大学に行く事となる。

 

ここで初めて入学したところが映像学科だった事で写真と出会う。

 

親元を離れ、たががはずれて遊びまくり大学には5年在籍した。

 

卒業年度、就職活動を全くしていなかった為にバイトしていたそば屋に就職しようと考えた。

 

当時教授であった写真家高梨豊氏にそれを話したところこっぴどく怒られる。

 

高梨氏が在籍しておられた日本デザインセンターを紹介してもらい、スーツを着て

面接してもらうがそれはあとの祭り。

 

既に面接、試験は終わっており、新設のスタジオマンなら空きがある事を聞く。

 

そのままその新設のスタジオVICに入社する事となる。

 

当時バブルの風が吹きつつあり1年半でそこをやめ独立する。

 

ここからの仕事はあまり書いても仕方ないので簡単に。

 

撮影の仕事は雑誌での撮影が90%を占めた。

 

専門分野を作らず、ほぼなんでも撮れるフォトグラファーとして

40代半ばまで撮影業のみに従事する。

 

そしてこのあたりから「このままの撮影を続けていって良いのだろうか?」と考えるようになる。

 

本当に自分の撮影したいテーマは何だったんだろう?

 

仕事で撮る写真は本当に自分の撮りたい写真なんだろうか?

 

撮る写真は一緒なのに、一枚の写真に付くギャラに一喜一憂するなんておかしい事ではないのか?

 

「あの広告撮っている」、「この雑誌撮っている」で撮影ヒエラルキーが決まるなんて

ちょっとおかしい事じゃないのだろうか?

 

そんな事を考えるようになっていった。

 

この後の自分の時間はすべて自分の写真の為に使いたい。

 

必然的に依頼仕事をやっていたら自分の時間がなくなってしまう。

 

このまま写真撮影業で生涯を終えるのは絶対にイヤだ。

 

と考えるようになる。

 

世界中を飛び回り、自分の脚で歩き回り、撮影し、個展をやり写真集を出す。

 

この夢に向かってどうやったら実現可能なのか?

 

そう言う考えが頭の中の大部分を占めるようになってはや10年。

 

こうして気ままに旅をする『Road Trip Photographer』になり今日に至っている。

 

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